2010年5月7日金曜日

「信仰の危機を通して見えるもの」 ローマ7、8章

先週に引き続き「霊的スランプの処方箋」について学んでいます。私たちの信仰の歩みには色々な時期があります。イエス様に出会って、喜んで関係を深める時期。そしてイエス様に信頼して、イエス様と共に人生を歩み始める時期。そして喜びあふれる、霊的ハネムーンの時期…。しかし、それに続いて様々な危機も訪れます。結婚生活においても「三年目の危機」や「中年の危機」「熟年の危機」など色々な言葉があるように、信仰生活においても様々な危機があるのです。一般的に日本人の平均的信仰寿命は「3年未満」であると言われています。多くの人が、一度は信仰を持ちながら、何らかの理由で教会を去っていくのです。たいへん残念な話ですが、なぜそんなことが起こるのか、一緒に考えて行きましょう。

なぜ三年目の危機は起こるのでしょうか?もしかしたら、理想と現実のギャップからかもしれません。喜んで洗礼を受けたのですが、教会生活の中で人に躓いたり、試練にあったりして「こんなはずじゃなかった」となってしまうのです。そのような人について聖書はこう語っています。「また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます(マタイ13:20-21)」。科学的にも、恋愛ホルモンは3年で枯れてしまうそうですが、信仰にも同じことが言えるのかもしれません。だからこそ、信仰の本質とは何のか、この時期に、もう一度、吟味したいものです。

また「中年の危機」はなぜ起こるのでしょうか?中年の危機は、思春期に対し、思秋期とも呼ばれます。思春期に、若者は「これから自分はどのように生きて行けばよいのか」と思い悩み、ホルモンバランスの変化もあって、心身ともに不安定になります。思秋期もある意味似ていて、大体40代から始まり「果たしてこれからの人生(夫婦関係や仕事)はこのままで良いのか」と思い悩むようになり、老化に伴うホルモンバランスの変化もあいまって「中年の危機」となるのです。

見方を変えれば、それは「人生の成熟期への移行」でもあります。それまでの、進学、就職、結婚、出産、子育て、マイホームなどといった人生の拡大路線に一息つき、物質的ではない内面の豊かさを追い求め始める時期でもあるのです。「人生の質への転換期」とも言えるでしょう。目に見えるものよりも、目に見えないものを追い求め、拡大よりも「深み」に成長していくのです。その変化を受け入れずに、若さに執着したり、若い人達と同じ土俵で張り合おうとするのは、実に、もったいないことです。なぜなら、その時期にしか学べない「大切な事」があるのに、それを見ようとはしないで、失うものにばかり目を取らわれているからです。

信仰にも、そのような「質の転換期」があります。柴田君のように(まんが信仰生活入門p74~)、バリバリ奉仕をして、新しいことをどんどん経験して、教会の責任をどんどん担っていく信仰の拡大期があります。しかし様々な経験を通して、そんな拡大路線に一息つき、自分の内面を見つめ直す時期が必ず訪れます。そしてもう一度、基本から、自分の罪とは、十字架とは、そして赦しとは…と見つめ直すのです。すると今までとは違う、新たな主との出会いが待っています。その経験により、あなたは以前にまして神と人とに喜んで仕える人へと変えられるのです。

肉体年齢に関係なく、信仰の危機は訪れます。罪の赦しって何だろう、奉仕って何だろう、教会ってなんだろう、私の教会の中での存在意義って何だろう、自分は成長しているのだろうか…。そんな不安定な中で、そこに踏みとどまり、真摯に神と人とに向き合うなら、あなたは、より深い「霊的な真理」に導かれるのです。その真理こそ、そんなあなたをも愛する「神の愛」です。

高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、
私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、
私たちを引き離すことはできません。
(ローマ8章39節)

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